冷水峠、そして筑前山家へ
2009年 06月 22日
筑豊本線。
北九州からかつての産炭地を抜けるとのどかな田園風景、そして峠越えとなる。通称“原田線”と言われる筑豊本線の桂川以南のハイライトはこの冷水峠であるが、蒸気機関車全盛の頃はD60が重連で峠越えに挑んでいた。
寝台特急“あかつき”が冷水峠を越えていたのは昭和60年3月のダイヤ改正までか。当時はDD51が青い客車を牽引していた。当然ながら小学生だった私にこの列車の記憶はない。
6月20日、21日、先頃廃止された寝台特急用の客車を使用した臨時列車が運転された。20日は“あかつき”として門司港から長崎へと向かう。21日はその逆のルートを“みずほ”として走る。どちらを撮影しようか迷ったのだが、天候、そしてスケジュール等を考慮して“あかつき”に一点集中することとした。
早朝3時半に宮崎を発った。9時前には現地入りをしたところであるが、蒸気運転時代からの“お立ち台”は既に多くの人だかりが出来ている。線路端をうろちょろし、最終的に落ち着いたのは峠を下った列車が築堤に放り出される地点。
炎天下、列車を待ち続ける。ようやくやってきた列車は機関車2両が牽引するという豪華仕様だ。カーブの頂点でシャッターを切ったが、せっかくの重連なのにちょっともったいないことをしてしまった。
まぁ、“あかつき”の文字がきちんと浮かび上がってくれたので良しとするか。
北九州からかつての産炭地を抜けるとのどかな田園風景、そして峠越えとなる。通称“原田線”と言われる筑豊本線の桂川以南のハイライトはこの冷水峠であるが、蒸気機関車全盛の頃はD60が重連で峠越えに挑んでいた。
寝台特急“あかつき”が冷水峠を越えていたのは昭和60年3月のダイヤ改正までか。当時はDD51が青い客車を牽引していた。当然ながら小学生だった私にこの列車の記憶はない。
6月20日、21日、先頃廃止された寝台特急用の客車を使用した臨時列車が運転された。20日は“あかつき”として門司港から長崎へと向かう。21日はその逆のルートを“みずほ”として走る。どちらを撮影しようか迷ったのだが、天候、そしてスケジュール等を考慮して“あかつき”に一点集中することとした。
早朝3時半に宮崎を発った。9時前には現地入りをしたところであるが、蒸気運転時代からの“お立ち台”は既に多くの人だかりが出来ている。線路端をうろちょろし、最終的に落ち着いたのは峠を下った列車が築堤に放り出される地点。
炎天下、列車を待ち続ける。ようやくやってきた列車は機関車2両が牽引するという豪華仕様だ。カーブの頂点でシャッターを切ったが、せっかくの重連なのにちょっともったいないことをしてしまった。
まぁ、“あかつき”の文字がきちんと浮かび上がってくれたので良しとするか。
by c55-52
| 2009-06-22 07:25
| 写真